10月7日号
堂々たる県都の顔 JR東海道線「大津」

県都の「玄関口」にふさわしい駅へと生まれ変わった「大津駅」
 この駅、実は3代目である。駅舎の話ではない。駅の所在地そのものが移動しているのだ。初代の大津駅は浜大津に設けられ、京都から来た列車は馬場駅(現在の膳所駅)でスイッチバックして大津駅に入り、乗客や貨物を琵琶湖航路に引き継いだという。明治22(1889)年に東海道線が全通すると大津−馬場間は支線になり、やがて馬場駅を大津駅、大津駅を浜大津駅と改称する。現在の大津駅が誕生したのは大正10年。東海道線のルート変更によるものだ。

 大津市の中心市街地というと、大津駅より浜大津周辺をイメージしがちなのも、そんな古い記憶が生きているせいかもしれない。大津駅は30万都市の玄関口でありながら、どこか地味な印象をぬぐえない。鉄道マニアの間では、特急が停車しない県都の駅(いまは「はるか」が上下2本停車)などとして、浦和駅や神戸駅とともに揶揄(やゆ)の対象にもなってきた。駅前の路線価も、全都道府県の中で最下位を争っている。乗車人員も1日平均1万8000人にとどまり、草津駅や石山駅の後塵(こうじん)を拝している。

 そんな大津駅だが、今年3月に駅前広場のリニューアル工事が完成して面目を一新した。駅北口の西側にバスやタクシーの乗り場を移設、車と混在して歩行者が危険さえ感じた乗り場跡は、6億6000万円をかけ、ケヤキを植え、ベンチを設け、市民が憩える広場に整備された。正面には、幅員30メートルの中央大通りが真っすぐ湖岸まで延び、右手に折れれば県庁や県警本部、裁判所などが連なる官庁街だ。堂々たる県都の顔といっていいだろう。悩みは、駅周辺が商業集積地の魅力に欠けること。


 駅前を左に向かい右折すると、浜大津まで商店街=写真下=が続く。生鮮食品を扱う店も多く、飲食店も増えている。だが、人通りが少ないのが現実だ。その商店街の再生を目指して、駅前商店街振興組合が6月に「寺町宣言」を発表した。「百町街路 寺町商店街」と改め、町のにぎわいを取り戻そう−というのが狙いだ。

 「もともとの寺町の呼称を復活させ、歴史と文化を生かした、利便性の高い町並みを整えていきたい」「かつて大津百町といわれた町の復興を、各商店街と連携して実現させたい」と、商店主の一人で、企画立案した中島左近さんは熱っぽく話す。店の外観も徐々に江戸時代の町家風に改め、道路のバリアフリー化を進め、町のランドマークとして大津祭の曳山(ひきやま)のレプリカも設置したい−と。京都に倣った「大津検定」の実施や「町並み博物館通り」の整備など、大津再生プランはその他にもいろいろと進められている。

 大津百町の繁栄を今に伝えるのが、13基の曳山が町を練る「大津祭」である。山車(だし)の上で繰り広げられる精巧なカラクリ人形の芝居、華麗な見送り幕や天井画。大津町衆の経済力と心意気が伝わってくる祭りだ。きょう7日は宵宮。流れてくる囃子(はやし)の響きに誘われて大津百町を散策したい。あすの8日は本祭。午前9時半に天孫神社を出発して夕刻まで曳山が町中を練り、十数万人が見物に訪れる。真宗大谷派大津別院近くに設けられる桟敷席(有料)もすでに完売している。

天孫神社(大津市京町3)

 社伝によれば、創建は延暦年間。「四宮神社」「四宮さん」とも呼ばれるのは、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)など四柱の神々を祭っているためとも、主神が天照大神(あまてらすおおみかみ)の4代目にあたるためともいう。350年の歴史を持つ大津祭は天孫神社の祭り。明治以降は10月10日が本祭だったが、近年になって10月の3連休初日を宵宮に、翌日曜を本祭に変更した。昨年から市内に曳山展示館を運営するNPO大津祭曳山連盟が巡行にも積極的に関与、曳き手の募集なども行っている。本祭当日はすべての曳山が午前9時に神社に集い、くじ改めのあと町内を巡る。

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