9月23日号
商人の町 観光客増、誇らしげ JR東海道線「近江八幡」

商家をイメージしたシックなれんが風の駅舎(北口)
 1日約3万4000人の乗降客が行き交う湖東の中核都市・近江八幡。玄関口のJR近江八幡駅は南北で全く違った駅前の表情を見せる。

 その昔、八幡山のふもとに豊臣秀次が開いた城下町に向かう北口は、落ち着いた駅前広場から広いブーメラン通りが延びている。北口の観光案内所で観光パンフレットや観光パスポートを入手して、観光客はお目当ての水郷巡りや八幡堀かいわいの近江商人発祥の地の町並み散策に繰り出す。秋の観光シーズンにはまだ早いウイークデーなのに窓口には旅人がひっきりなし。一人で応対していた西川陽子さんは「ヨシの生えている水郷地帯から八幡堀にかけての重要文化的景観が人気で年々訪れる人が増えています」と誇らしげに話した。明治22(1889)年に駅が開業した時、「黒煙が降り注ぐので危険だ」と市街地から2キロ余も離れた田んぼの中に建設したため、旧市街地の観光ゾーンとを結ぶ広いブーメラン通りを歩く人は少なく「バスで小幡町で降りて散策される人がほとんど」(西川さん)だという。

 駅の南口=写真下=に回ると、駅前は高架橋をまたいで大型スーパーや家電量販店、薬局チェーンに高層マンションが乱立する。まるで空中都市だ。「こんなに買い物に便利だとは思いませんでした」と半年前に金沢から移住してきたという子ども連れの主婦が話してくれた。北口は観光客、南口は通勤、通学、買い物客など地元の主婦でにぎわい、若いお母さんたちで活気があふれる。

 南口の靴屋さんにも「観光案内所」の看板が出ている。入ってみると「最近は南口の方がにぎやかになって観光客の方が間違ってこちらに降りてくるのを改めて北口に案内する場所です」と店主の東野有見子さん(37)が苦笑いした。旧市街地で生まれ育ったという東野さんは「子どものころは南口には何もなかった。南は忙しく北はゆっくりと時が流れるよう。1本の線路がこれほどまでに人の動きや景色まで変えてしまうことを初めて知りました」と話してくれた。


 駅前からバスに乗って5分ほど。八幡堀周辺の観光スポットを歩いた。まだ残暑厳しいのに散策の観光客が多い。近くの市営駐車場の福井司郎さん(73)が「以前は大半が近畿、中京ナンバーだったが、最近は関東、九州など遠方のクルマが増えてきた。特に中高年の絵画やカメラ、歴史散策などの趣味のグループが目立ってきた」と話した。20年前に年間約80万人だった観光客が今220万人に増えたという。

 お堀端からレトロな近江商人の町並みに点在するヴォーリズの洋館建築群。左義長祭で知られる日牟禮八幡宮や朝鮮通信史ゆかりの本願寺八幡別院など、ロープウエーで八幡山に登るとたっぷり半日楽しめる。ただ、古い歴史を刻んできた京街道商店街に人影が少ないのが気掛かりだった。

 和と洋の文化を暮らしの中に共存させてきた商人の町・近江八幡。南北全く違った駅の表情も、やがて暮らしの中に溶け込み、新しい近江の町並みをつくり出していくのかもしれない。

本願寺八幡別院(近江八幡市北元町)

 JR近江八幡駅からバスで約5分。小幡町資料館前下車、徒歩5分。当初、永禄元(1558)年に蒲生郡蒲生野に金台寺として建立されたが天正8(1580)年、織田信長が安土城を築城した時にその城下に、さらに豊臣秀次が八幡山に築城した際に安土から現在地に移築された浄土真宗の大寺院。京街道沿いにあり関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が上洛の時に宿泊場所として使い、朝鮮通信使の休憩、昼食場所にも使われた由緒ある寺院である。石垣で囲まれた静寂の境内に親鸞、蓮如像が立つ。本堂、表門、鐘楼、裏門が県の指定有形文化財になっている。電話:0748(33)2466。

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