9月9日号
急速に発展 変貌とげる JR東海道線「瀬田」

文化ゾーンへの玄関口として、活性化を図る瀬田駅界わい
 瀬田駅の開業は昭和44(1969)年8月12日。それまで石山−草津の約8キロ間には、駅はなかった。

 それからおよそ40年。瀬田駅が地元に及ぼした影響は、今、南口側ににぎやかに展開する町並みと、北口側のほぼ昔のままの閑静な町並みとを見比べてみれば、よく分かる。

 とはいえ、銀行や書店などに囲まれた南口の駅前広場は、これほどまでの街の発展を予想し切れていなかったかのように、こぢんまりしている。

 広場から橋上駅舎を見上げて取材メモをとっていると、通りがかりの地元人らしい年配の男性が「この駅がなかったころは、瀬田の唐橋くらいしか目立ったもののない町やったんやで」−と一言。

 旧東海道沿いに静かに展開していた瀬田地域。そこに瀬田駅が出現して以来、ことに南口側が急速に変貌したといえるだろう。

 駅の1日平均乗降客は、勤め人や学生など約3万3000人。そのほとんどは南口を利用し、駅前広場からバスで各所へ散っていく。

 実は瀬田には古代にも、東海道に「瀬田駅」と呼ばれる施設があった。役人が遠方へ行くときに使う馬を常備しておく所で、瀬田駅には30頭の馬がつながれていた。全国的にも最多級の馬数であったことを考えると、瀬田が平安京にとっていかに重要な所であったかが推察できる。

 現在、その旧東海道以上に重要な役割を果たそうとしているのは、南口の駅前から南東の丘陵へ延びる学園通りだ。丘陵は滋賀医大(学生1000人)、龍谷大・瀬田キャンパス(7000人)をはじめ、県立図書館、県立近代美術館などがある県内第一の文化ゾーンだ。

 若者を抱えるこのゾーンとの連携を確立することで活性化を図ろう、というのが地元の街づくりコンセプトなのである。


 コンセプト推進の前線に立つ瀬田商工会=写真下=を訪ねてみた。駅から歩いて約10分、閑静な旧東海道沿いに立つ、曲線が美しい建物だ。屋上が庭園になっているのが、道からでもうかがえる。環境に配慮し、町に開かれた建物にしたことが評価され、昨年、大津市の第2回古都景観賞に選ばれた。

 「駅、唐橋、上田上(かみたなかみ)の3点を結ぶトライアングル内が本来の瀬田地域。その活性化のために考えているのが大学との連携です。地域内に多くの学生さんに居住してもらうため、防犯活動から率先してしています」と商工会・指導課主事の傍嶋則之さん。

 具体的な計画も進んでいる。例えば10月29日には滋賀医大、龍谷大の学園祭とリンクした瀬田フェスティバルを開催する。

 その祭りの軸が学園通りだ。イルミネーションで飾ったり、中学2年生が模擬店を開いたりする中を、龍谷大生が蛇踊りで学園通りを駅へと降りてくる予定だという。

 また同14日から15日にかけて瀬田の唐橋から建部大社までを和ろうそくと花灯籠(とうろう)で飾ったり、15日には唐橋商店街に手作りあんどんを並べる計画もある。

 古代の瀬田駅時代に劣らぬ繁栄へ向かって、現代の瀬田も歩み出している。

瀬田の唐橋(大津市瀬田1)

 昔から「唐橋を制する者は近畿を制する」といわれた交通の要衝。
 壬申の乱(672年)では、大津京に攻め入る大海人(おおあまの)皇子軍と、守る大友皇子軍との間で争奪戦が展開された。恵美押勝の乱(764年)や木曽義仲の寿永の乱(1183年)などでも戦乱の場となった。10世紀初め、俵藤太秀郷が橋上の60メートルもの大蛇の上を歩いたという伝説もある。
 かつては今より300メートル下流にあったが、織田信長が現在地に移した。橋脇に鳥居川水位観測所があり、同地点が大阪城の天守閣とほぼ同じ高さになるという。

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