6月10日号
「宿場町」レールものんびり JR草津線「石部」

のどかな駅のホームにローカル線の電車が滑り込む石部駅
 JR京都駅から草津線経由わずか30分で石部駅に着く。京都から36キロの石部宿。その昔「京立ち石部泊まり」といわれ、京を出発した旅人が最初にわらじを脱いだ宿場町だったが、今は京都や大阪への通勤圏となっている。

 何の変哲もない駅舎だが、駅舎に隣接して売店と待合室を兼ねたコミュニティーハウスがある。そして駅前ロータリーには黒門が立ち、「左に石部の宿、右に東海道五十三次」とあり、石畳と樹木の茂るミニ公園になって、往時の宿場町風情を醸し出している。

 かつての籠(かご)屋に代わって駅前に店を連ねる「自転車預り所」の看板と、所狭しと置かれた自転車の群れが面白い。「町の中心部まで距離があるので、皆さん駅前に自転車を預けて通勤、通学されています。最近は若い旅人や中高年層の貸し自転車も増えてきた」と、もう50年も店をやっているという預かり所のおばさんが話してくれた。

 駅前からバスに乗って高台の雨山文化運動公園に着いた。山頂の臥龍(がりゅう)の森を囲むように深緑の森林が広がり、野鳥の森、陽だまりの森、清風の丘などのゾーンが格好のハイキングコースになっている。さらに体育館やグラウンド、テニスコート、キャンプ場などのスポーツゾーンもある。その森林公園の一角にある「石部宿場の里」の関所をくぐると、そこはもう江戸期の宿場町。広大な敷地内の石畳を歩くと、かやぶき農家や旅籠(はたご)、商家、茶店などが連なり、江戸時代の「石部の宿」がリアルに再現されている。


 公園の事務所に立ち寄ると、石部公共サービス会社部長の中村庄一さん(77)が江戸末期の石部宿の町並図(職業図)を持ち出してきて、「石部宿」の歴史や町並みを説明してくれた。「石部は今も昔も気候が温暖で天災も少なく住みよい町。江戸末期には人口約3500人だったが、明治以降にも人口は減ることがなく1万3000人台をキープしていた」と得意そうに話した。

 よく聞くと中村さん、祖先が古地図に載っている「百姓庄介・火の番所」なのだそうだ。「半農半商で向かいで旅人相手の一文菓子屋をやっていたらしい。私の代はもうサラリーマンでした。ぜひこの図を持って今の宿場町を歩いて見てください」と肩を押されて駅前に引き返す。10分ほど歩くと宿場の入り口の「見附」=写真下=がある。「見附」まで約3キロの旧東海道の宿場町を散策した。

 江戸幕府直轄の小島陣屋と膳所藩直轄の三大寺本陣を中心に最盛期には米屋や質屋、菓子屋、荒物屋、小間物屋など216軒の商家と62軒もの旅籠が軒を連ねたという石部宿。旧街道沿いには、本陣跡や御高札場などの史跡がわずかに残るだけだが、落ち着いた町家にかつての宿場町の雰囲気が伝わってくる。

 「石部宿夢街道」と名付けられた旧東海道の宿場町を散策すると、家並みの石塀や垣根越しに清楚(せいそ)な庭先や、きれいに清掃された玄関先の手入れの行き届いた花壇が心を落ち着かせ、住む人たちの誇りを感じさせる。

石部宿場の里(湖南市雨山2丁目)

 石部駅からバスで「石部中学前」下車、徒歩15分(車で約3分)の雨山文化運動公園内にある。江戸時代、東海道五十三次の51番目の宿場町として栄えた「石部宿」を再現している。園内には、かやぶき農家や関所、旅籠、茶店、商家などが点在して、江戸時代にタイムスリップさせてくれる。特に各建物内部に置かれている当時の生活道具や商家の道具、旅籠の間仕切りや土間、井戸、かまどなどが当時のままリアルに配され、併設の歴史資料館と合わせて江戸時代の宿場町が心地よく散策、体験できる。

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