6月3日号
歴史は古く人に優しい JR東海道線「河瀬」

駅に残る跨線橋は、100年以上、町の歴史を見つめてきた
 外観が明るい薄茶色のタイル張り。モダンな駅舎だ。両翼の中央はエレベーター棟になっていて全体が「人に優しい駅」をイメージしているのだという。東西に出口を持ち、その前はロータリーに整備されている。高校生など数人が足早に駅舎に消えていった。

 「かつては田んぼの中に立っていた平屋の駅舎。出口も東側だけで、駅前の線路沿いに十数軒の商店が点在するだけだった」と地元の人たち。ここで生まれ育った彦根市職員(55)は「子どものころは水田が広がり、小魚やウナギなどを捕ってよく遊んだ。夏になるとホタルが飛び交い、のんびりした住みよい町でしたよ」と昔日に思いをはせる。

 そんな町が十数年前のバブル期には、駅周辺の日夏、川瀬、亀山などでニュータウン化が進み、また昭和アルミ彦根工場など大、中、小企業の進出が相次いだ。加えて県立彦根工業高校の移転、同河瀬高校も新設され、さらに平成7年には滋賀県立大学が開学した。駅や町を歩いて、学生らの姿が目につくのも納得である。こうした町の急激な発展で駅の一日の乗降客もそれまでの3割増の、約6000人に膨れ上がったという。

 現駅舎は、町の情勢や明治29(1896)年の開業時に建てられた木造駅舎の老朽化などから、周辺整備とあわせ102年ぶりに改築。平成10(1998)年3月に完成した。鉄骨2階建て橋上駅舎になるとともに、東西の自由通路(長さ約44メートル)、弱者に配慮したエスカレーターやエレベーターが設けられている。

 河瀬駅員の1人は「現在の1日の乗降客6000人はバブル期のころとほぼ変わらないですね。通勤や通学客が大半を占め、本数が増える朝夕のラッシュ時を除けば、買い物などで地元民が利用するぐらい。特に昼間は昔のようにゆったり、のんびりした時が流れます」という。


 東口の沿線には銀行、農協などのほか、薬局や生花店があるが、商店街の趣はない。西口に回ると、道路を挟んで真ん前に「やさいの里」があり、早朝から主婦やお年寄り夫婦らでにぎわいを見せていた。近隣の新興住宅街などからも新鮮野菜を買い求める人が増え、駅の新しい顔になりつつある。JA東びわこの松原慎也さん(24)は「買い物だけでなく地元の人たちがここで触れ合い交流できる、そんな憩いの場所にしていきたいですね」と話す。

 元の駅舎が100余年も経ていたのだから「河瀬駅」の歴史は古い。改築まで現役だった跨線(こせん)橋の4本の鉄製支柱には「鉄道院」「大正4年」「汽車製造会社製造」と陽刻が残っている。鉄道院は旧国鉄の前身で明治41年から大正9年まで存続。そんな鉄道史を語る支柱や陽刻はいま、駅の東口広場に展示保存され=写真下=、鉄道ファンらの足を止める。

 駅名の河瀬は川の流れが変化し、水がなくなった所を田畑にして人が住むようになった村落に由来するという。町には牧歌的な雰囲気こそ残っているが、駅周辺にその面影はない。駅東口の支柱や陽刻は、そんな変遷を感慨深げに眺めているように見える。

やさいの里(彦根市南川瀬町)

 鈴鹿山脈の清らかな水と大地の恵みを受けて育ったみずみずしい野菜を中心に、切り花、果物を販売する。常設の直売所として平成12年の夏にオープンした。「みんなの直売所」を合言葉に地域、消費者、農家、それに農協の信頼関係で立ち上げた。とにかく新鮮な取れたての品々が、大型店などより安く手に入るとあって、口コミなどで広がりを見せ、「人気は確実に根付いている」(農協の話)という。隣町から来たという老夫婦は、ネギやキヌサヤなどを買い込んでいた。直売所は生産農家が中心で、現在の会員は150人。午前9時−午後6時(冬は同5時)。年中無休。

滋賀新聞TOP京都新聞TOP