4月29日号
ガリバーも見守る曳山巡行 JR湖西線「近江高島」

巨大なガリバー像が出迎えてくれる湖西線・近江高島駅
 JR京都駅から新快速に乗ると、わずか36分で近江高島駅に着く。左手に比良山系、右手に琵琶湖を望みながら走る小さな旅は快適だ。

 近江高島駅は昭和49年、湖西線の開業とともに開設された。が、駅の歴史は昭和2年に江若鉄道が大溝まで延長された時にさかのぼる。モダンな洋風駅舎で駅名も「大溝駅」だった。その後、高島町の誕生で、「近江高島駅」に改名した。先代の駅舎は質素な木造建築だった。高校への通学で毎日駅舎を利用していたという松本かをりさん(58)は「のどかな駅舎は青春の思い出がいっぱいでした」と当時を懐かしむ。松本さんは新築された現在の駅舎構内の観光案内所に勤務している。「駅舎も駅前もすっかり変わったが、思い出の駅舎で観光客に新しい高島市の魅力を紹介できるのがうれしい」と話した。

 京都へは、かつての江若鉄道時代に1時間余もかかっていたが、約半分に短縮され、京都へ通勤する人も増えた。

 陸橋沿いに建てられた鉄筋2階建ての駅舎は何の変哲もないローカル線駅舎といった感じだが、駅頭に降り立つと駅前広場に高さ7・5メートルの巨人ガリバー像がそびえ立つ。琵琶湖をかたどった池の中に立つガリバーが数隻の船を引っ張り、お城に向かって歩いている「ガリバー旅行記」の一シーンだ。町おこしに旧高島町はガリバー旅行記の作者、ジョナサン・スウィフトの生まれ故郷・アイルランドとの交流を深め、駅から西へ10キロの所にアウトドアレジャー施設「ガリバー青少年旅行村」を出現させている。

 駅から湖畔方面に5、6分も歩くと城下町の面影を残す勝野地区。古い町並みが軒を連ね、町家を利用したアイルランド交流館びれっじ(1号館〜6号館)が点在、観光協会や土産、グルメゾーンなどの観光スポットになっている。


 春を迎えた高島の街は年中で最もにぎわいを見せる祭りの季節だ。5月3日(宵宮)、4日(本祭)に行われる日吉神社の例祭「大溝祭」=写真下は昨年の様子=は5基の曳山(ひきやま)が町内を巡行する絢爛(けんらん)豪華な祭りである。

 京都の祇園祭同様、宝組、龍組など各町内の曳山があり、4月になると小学生から大人までが参加する各青年会の笛や鉦(かね)、太鼓のお囃子(はやし)の練習が始まっている。高島で生まれ育ち、小学生から祭りに参加してきた林光則さん(45)は「祭りが近づくと今も胸が高鳴る。子どもの時に祭りの楽しさを知り、人と人のつながりの大切さを知る。祭りは今も昔も、町の人たちの心を一つにする高島の宝物です」と言う。古い町並みを練る曳山も見応えがあるが、都会からやって来る人たちは比良山系を背に新緑の田園地帯を行く豪華な曳山が牧歌的で美しいという。

 駅から湖畔に出ると、かつての勝野津の面影をとどめる大溝港。日吉神社へ向かうと乙女ケ池や大溝城跡。いにしえの歌人たちの「万葉の歌碑」も立つ。山と湖に抱かれた近江高島は古代、中世、近世、現代…の多彩なロマン舞台が息づく希有(けう)な歴史タウンである。

日吉神社(高島市勝野)

 近江高島駅から南西へ徒歩約10分の所にある城下町・大溝の鎮守社。比叡山延暦寺の有力寺院だった高島の長法寺が創建された時、鎮守神として坂本の日吉大社から勧請して祭られた。その後、江戸初期の大溝藩主・分部光信が城下町を整備、同神社も復興した。明治初期に山王権現から日吉神社に改めた。大溝祭も光信が前任地・伊勢上野の曳山祭を移したものと伝わる。

 曳山は当初はススキや松を飾った質素なものだったが、次第に町人の経済力を誇示する祭りになり、明治時代になって金箔や漆塗りの豪華な造りになった。

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