4月15日号
若者主役の「ミナクサ」 JR東海道線「南草津」

学生など若者たちでにぎわいを見せるJR南草津駅
 南草津駅は平成6年に新設された橋上駅。京都からの場合、草津駅の一つ手前になる。利用者が急増し、JR西日本広報部によると、1日平均乗降客は3万7000人強。草津駅の5万4000人に迫る勢いだ。

 酔って眠っていた京都方面からの乗客は、ここで時々、難儀する。ふと目覚め、ホーム表示「南草津」の「草津」の部分だけ目に入れて草津駅と勘違いし、飛び降りてしまうのだ。もちろん、くたびれた大人の話で、若者たちには無縁だ。

 実は、この駅の利用者や駅周辺の街の主役は、その若者たちなのだ。

 駅開業の年、市南東部の丘陵地に立命館大学びわこ・くさつキャンパス(BKC)が開かれたことが大いに関係している。

 その学生数1万6000人。これだけの人数が駅を利用したり、住んだりするのだから、若者主役の駅や街になって当然だ。

 そんな若者たちは「南草津」を「ミナクサ」と呼ぶ。「ミナミクサツ」と呼ぶと「ダサイ」と笑われるとか。

 駅の東口から、ミナクサの街に出てみる。駅前広場はバスロータリーで、ぐるりとバス停やビルに取り巻かれている。


 南側の6階建てのビルは「フェリエ南草津」=写真下。改札を出てそのまま3階につながる通路がある。市民交流プラザや図書館、プール、学割の利く飲食店などが入っている。

 正面には24時間営業のスーパーもあり、若者らにありがたがられている。

 広場北側の通りは、西へ走れば江戸時代「矢橋の帰帆」で知られた矢橋の浜へも通じる。

 駅下のその通りに京都、滋賀、奈良の19の大学生協で運営する「大学生協京都事業連合 草津営業所」があり、学生に住まいを斡旋(あっせん)する。草津エリアだけで46棟4372室を用意しているという。

 新入生がやって来る今が忙しい季節。「バス・トイレのセパレーツが当然になるなど、要求水準はけっこう高いです」と職員さん。  あらためて駅周辺を見回す。なるほど駅からどっと出てきた学生らしい若者がバスに乗降したり、往来する姿が目立つ。

 東へ少し歩けば国道1号。朝まで開いている飲食店やカラオケ店などが並んでいる。その国道の辻をさらに東へ進むと、やや喧騒(けんそう)から遠ざかり、国道と平行するように、野路地区の旧東海道があった。

 すぐに目につくのは、江戸時代「萩の玉川」と呼ばれて旅人に親しまれた泉の名残だ。ささやかなわき水と、説明板がある。

 その少し草津宿寄りにある史跡は子守地蔵。江戸時代、虫を追った子どもが大名行列の前に出てしまい、母親とともに供侍に殺害されたのを、こっそり慰霊してきた地蔵だとか。なるほど、まるで往来から隠れるように街道に背を向けて安置されていた。

 そこへリュック姿で現れたのは、なんと東京から、東海道を何回にも分けて歩いて旅しているという藤枝市の水野正代さんら50歳代の婦人2人。

 「今日は大津まで楽しんで、JRで家に帰ります」と元気に去っていった。

萩の玉川(草津市野路町)

 平安から鎌倉時代にかけて宿駅のあった野路地区の旧東海道沿いにあり、「野路の玉川」とも呼ばれる。近くの十禅寺川の伏流水がこんこんとわき、一帯が萩の名所でもあったことから、井手の玉川(京都府)、調布の玉川(東京都)などとともに、日本6玉川の1つと称賛された。平安の歌人、源俊頼が「あすもこむ野路の玉川萩こえて 色なる浪に月やどりけり」(千載和歌集)と歌ったことや、安藤広重が浮世絵に描いたことでも知られる。今では伏流水が激減し、小池となって残る。その池を市が囲い、案内板を立てるなどして保存している。南草津駅からは徒歩約15分。

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