4月1日号
住民が守る 地域の足 JR草津線「油日」

甲賀忍者が巻物を持った姿を表現したユニークな草津線「油日駅」
 JR草津線は、東海道線の草津駅と関西本線の柘植(つげ)駅を結ぶ36・7キロの路線。明治23(1890)年、関西鉄道として全通した。同40年、国有化で草津線と改称。昭和55(1980)年に全線電化されている。草津から数えて9駅目、38分で油日駅に着く。次はもう三重県の柘植である。

 駅の北東に連なるのは鈴鹿の山々。一番南にそびえる三角状の、形の整った峰が油日岳だ。太古、その頂上に神が降臨し大光明を発したので、油日の名が生じたという。油日大明神を主神とする油日神社が、ふもとの深い木立の中に鎮まっている。神社の氏子と、油日駅を利用する地域の人たちの顔はほぼ重なり合う。

 油日駅の開設は、昭和34年12月。駅のある上野は、かつて油日村の役場があった中心地で、商店街もにぎわった。駅のすぐ北側の県道草津伊賀線に沿って約500メートル、今も「上野商店街」の看板が見えるが、家並みはほとんどがしもた屋の風情=写真下。ぽつんぽつんと開いている呉服屋、酒屋、文房具屋、お菓子屋、化粧品店、雑貨店、自転車屋、魚屋…などの店が昔の面影を伝えるが、車の往来ばかりで、歩いている人の姿はほとんど見当たらない。

 「駅が出来たころは、商店街も盛り上がっていましたよ。しかし、まもなく車社会の到来で、大型店が出てきて商店街は細るばかりです」と話すのは、上野に住む山下孝司さん(63)。「油日駅を守る会」の九代目の会長だ。駅の開業時は高校2年生。自転車で寺庄にある甲南高校に通っていたが、列車通学に切り替えた思い出がある。


 守る会は、国鉄合理化のため無人駅になった翌年の昭和47年、駅を利用する範囲の地域住民全員、約1000人が参加して発足。駅の管理を委託された当時の甲賀町(現在は甲賀市)に働きかけて、自分たちで券売機の管理や改札、駅舎内外の清掃など行ってきた。運営費は、年会費200円のほかに、駅売り切符や駐車場の管理手数料、駅売店の売り上げなどを充てており、4年前に旧甲賀町が駅舎を全面改修したときには、会から600万円を出したという。

 新駅舎の外観デザインは公募の結果、巻物を持った忍者をイメージしたという地元の小学生の作品が選ばれた。住民が守り続ける駅らしい話題が、また一つ添えられた。

 昼間の油日駅に到着する電車は、1時間に上下1本ずつ。乗降客は平均して3、4人というところ。甲賀市内の会社を定年退職してから、ここに働いて11年目という粂田文夫さん(73)も、のんびり話し相手になってくれた。朝の7時から夕方の5時まで、3人での交代勤務だという。電車が着くと、みんな顔見知りなのだろう。「お帰り」と声を掛けてホームで迎える。足の悪い老人が乗車する時は、付き添ってあげる。ゆったり、ほのぼのとした駅の光景だ。

 誰もいない待合室の座布団の上に猫が1匹、思いっきり手足を伸ばして昼寝をしていた。

油日神社(甲賀市甲賀町油日)

 駅から東へ約2キロ。甲賀の総社として敬われ、また油の神様として全国の油業者の信仰を集める古社。県内でも数少ない本格神社建築で、正面の参道から一直線に並ぶ楼門、左右の回廊、拝殿、本殿=写真=は、いずれも重要文化財。本殿の奥に立つコウヤマキ(高野槙)は推定樹齢750年、幹回り6・5メートル、樹高35メートル。県指定自然記念物になっている。毎年5月1日の「油日まつり」で奉納される雨ごいの「太鼓踊り」は国の選択無形民俗文化財。今年は5年に一度の「奴振り」(県の無形民俗文化財)が見られる。境内のサクラも見事で、見ごろは4月20日ごろか。

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