2月17日号
「ときめき坂」若者で活気 JR東海道線・京阪石山坂本線「膳所」

若者の姿が目立つ膳所駅。駅周辺も活気づいている
 JR東海道線、京阪石山坂本線の膳所駅はともに大津市馬場2丁目にあり、向かい合っている。開業はJRが当時の国鉄旧東海道線・京都−大津(現浜大津)が開通した明治13(1880)年7月、京阪=当時は大津電車軌道=は大正2(1913)年3月。駅名はいずれも「馬場」だった。

 JR膳所駅は、滋賀県で最初の国鉄の駅であり、全国でも19番目に古い駅。JR西日本・大津駅営業総括助役の垣貫裕彦さんが、古い資料を持ち出して示してくれた。開業当時の京都−大津間の停車場は京都・稲荷・山科・大谷・馬場(現膳所)・石場(現京阪電鉄)・大津(現浜大津)で、京都から膳所までの所要時間は上り列車で52分、下り列車で47分もかかったという。大津から長浜の間は、湖上交通(太湖汽船)によっていた。

 その後、今の東海道線が全通して馬場駅は急行列車の停車駅となり、大正時代の一時期には2代目大津駅を名乗ったこともある。現在の3代目大津駅が出来るとまた馬場駅に戻り、昭和9(1934)年に「膳所駅」と改称して現在に至っている。

 JRの駅は北側しか改札口がなく、10年ほど前に南北連絡橋が出来た。線路をまたぐその歩道橋に立つと、南側の山手が住宅地として開発され、北側の琵琶湖岸で埋め立てが進んで、町が開けていった様子が一望できる。

 両駅の1日平均乗降客は、JRが約2万5000人、京阪は滋賀県の駅では最多の約7600人。2つの駅を起点に、北と東南に延びる道路沿いには約70店舗が軒を連ね、駅前商店街を形成している。とくに湖岸の大型ショッピングセンターまで続く約500メートルのなだらかな坂道は「ときめき坂」=写真下=と名づけられ、パンやケーキの店、ブティック、美容室、居酒屋チェーンなどの新しい店が目立つ。通りには大津高校や平野小学校があり、朝早くから深夜まで、人通りが絶えることがない。

 駅前で喫茶店を経営する小西正勝さん(64)によると、かつては八百屋や魚肉店、雑貨など最寄品を扱う店が点在する寂しい通りだったそうだが、今ではおそらく大津市内で一番人通りの多い商店街だろう。


 「30年前に西武百貨店が開店してから、しだいに人通りが増えてきた。10年前にはパルコが出来て、若い人が多くなった。あまり派手になるのも面白くないが、風俗や消費者金融の店や看板が一つもないのはうれしいね」と、小西さん。

 「ときめき坂」を下りきった所に、<草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒>の芭蕉の句碑が立つ。草の戸とは義仲寺無名庵のこと。元禄4年9月9日、重陽の節句(菊の節句)に弟子から酒樽が届いたのを詠んだ。義仲寺は木曽義仲の墓所であるが、今では芭蕉の旧跡・墓所として有名。ここから目と鼻の先である。旧東海道に面したささやかな山門がゆかしい。新旧が違和感なく交差する町のたたずまいが、うれしかった。

膳所城跡公園(大津市本丸町)

 江戸期を通して城下町膳所の象徴であった膳所城は関ケ原合戦の翌年、家康の命によって築かれた。琵琶湖に突き出す形で城郭が並び、その麗姿は「瀬田の唐橋 唐金擬宝珠(ぎぼし)、水に映るは膳所の城」とうたわれた。明治の初めに解体され、城門や櫓(やぐら)は膳所神社表門など各地に分散、保存されている。本丸跡の約3ヘクタールを、昔の水城の面影を伝える公園として整備。白壁や堀の石積み、旧瀬田口総門を復元した城門など、城跡公園の風格をもった造りだ。

 野外ステージや、子どもの遊具を備えたコーナーもあり、花見の名所としても知られる。

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