1月27日号
のどかな商人の里に新風 近江鉄道「豊郷」

駅舎はお年寄りらが集う町のサロンとして利用されている
 JR近江八幡駅から近江鉄道に乗り換えて30分で豊郷駅に着く。10年ほど前にコミュニティーセンターとしてリニューアルした駅舎は白と黒の蔵壁をあしらったシックな近江商人の屋敷風。待合室には江州音頭の大きな日傘の付いた円形ベンチが置かれ、地元の老人クラブ連合会事務所も兼ねている。地元出身で鉄道人生一筋の野村栄一さん(84)は「のどかな駅舎だが、地元の人たちに加え、近くの豊郷病院の患者さんや中山道歩きの方の利用も増えてきた」と話してくれた。豊郷の玄関口を守る元気な駅員さんである。

 駅から200メートルほど歩くと旧中山道に出る。愛知川宿と高宮宿の間の街道沿いは幾多の近江商人を輩出した町らしく石垣に囲まれた古い民家が点在、往時の面影をしのばせている。町内約3キロの街道はほぼ直線に走り、道幅も広いため車の通行量が多く、今も町の幹線道路になっている。

 近江八幡方面の歌詰橋から街道を歩くと江州音頭発祥地の千樹寺がある。街道沿いに立派な石碑が立ち、毎夏、江州音頭の輪が出来る境内に古堂がひっそりと立っている。門前の木製のベンチと子ども会の小さな花壇が道行く人の目を留める。しばらく歩くと豊会館がある。江戸末期、単身北海道に渡り松前船で財を成し、ふるさと豊郷の発展に寄与した近江商人・藤野喜兵衛の旧宅である。邸内では立派な庭園と陶器や鉄砲、かぶとなどのコレクションに圧倒させられる。

 駅近くまで戻ると伊藤忠兵衛記念館=写真下=がある。大手総合商社の創始者の屋敷は見越しの松に黒塀が続き、街道にひときわ歴史ロマンを漂わせている。かまどや炊事場、台所や座敷の店の間、仏間などがそのまま残り、屋敷を囲むように庭が配置され、往時の近江商人の暮らしを垣間見ることができる。


 もう少し行った町の中心部に役場と豊郷病院が立っている。小さな町の大きな総合病院も地元出身の近江商人、7代目伊藤長兵衛が大正時代に設立。今も県内屈指の総合病院として県民の健康に寄与している。さらに源平合戦の武将・那須与一の次男が城主だった那須城跡の八幡神社や近江商人・古川鉄次郎が建てた洋風建築の豊郷小学校、奈良時代後期に行基が創建した49番目の寺院・唯念寺が古代からの歴史を刻んでりりしく立つ。街道散策の最後は旧豊郷尋常小学校跡の「先人を偲ぶ館」。日本の近代史を飾った幾多の近江商人を生んだ町の歴史と伊藤長兵衛や伊藤忠兵衛、藤野喜兵衛ら8人の偉人の紹介と遺品が展示されている。元教員だった館長の田中浩二さん(84)が町の誇りを熱心に話してくれた。

 最後に街道から少し離れた彦根藩主ゆかりの酒蔵・岡村本家を訪ねた。蔵は酒蔵見学や酒蔵コンサートなどで開放され、古い歴史に新しい風が注がれている。地元の若手メンバーと滋賀県立大学の学生らが近江商人ゆかりの古い商家再生に取り組んでいる。メンバーの一人で岡村本家の岡村博之さん(37)は「蔵は学生アパートや酒蔵バーなどに再生、祭りや農作業にも参加してもらい豊郷の新しい魅力を創生したい」と話す。近江商人の里に新しい風が吹き始めていた。

千樹寺(豊郷町下枝)

 近江鉄道豊郷駅から徒歩15分、中山道沿いにある。奈良時代に行基によって建立された江州四十九院の一つと伝わる。戦国時代に織田信長の兵火により焼失したが、当地の近江商人・藤野太郎右ヱ門が浄財を投じて再建した。その時の落慶法要の余興で住職が参拝者を集めてお経に節をつけてうたい、手踊りを交えて披露したのが江州音頭の原型になったといわれる。

 毎夏8月17日の観音盆に境内にやぐらが組まれ、町内の人たちが夜遅くまで踊りの輪をつくる。中山道に面した寺前に「江州音頭発祥の地」と町無形文化財となっている「絵日傘踊り」と「扇踊り」の石碑が立つ。

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